幸せに生きていて欲しい人がいる。
今彼がどうしているのか、実際に知るつもりはないけれど。
どこかできっと幸せになっていて欲しい。
たとえ何も持っていなくても、たとえ誰もそばに居なくても。
彼は、それだけのことをやったから。
人を作り上げるのは、本当にその人そのものだけではない。
孤独は、けっして不幸ではない。
たったひとりでも、誰にも窓からさす春の光は暖かいし、夏の始まりのしめった土の匂いは胸を弾ませる。一生懸命働いた時の、汗に通る風は清々しいし、ありがとうと言って、ありがとうと返事をされることの小さな喜びは、疲弊した心を和らげる。
そういう、小さな幸せの感じられる心で、今日も生きていて欲しいと思う。
わたしはあの頃、彼の純粋さを素敵だと思いながら、同時に感じる何か得体の知れない気持ち悪さに戸惑っていた。まだ、ほんの子供だったから。
何故こんな良い子に、気持ち悪いと感じてしまうのか。
自分はなんと心根の悪いものを持っているのかと、どこかで自分を責めていた。
いつも、笑顔で優しくしてくれる彼に。
人として好きだったし、今でもその気持はかわらないよ。
彼の知らない側面を知った時、ああ、そうだったのか、と、何かとても腑に落ちた。そして、今考えれば、もっと彼という人を身近に感じられたのだ。不思議に。
わたしはあの頃見ていた、あなたの純粋さを今も見ている。
けれども、そうではない、周りの人間や状況に押し付けられた、苦しみや悲しみや人生の理不尽さに、怒りや哀しみが彼を飲み込んで行ったのだろう。
だから、あの時も、今でも、ずっとかわらず好きで居るよ。あなた自身の部分を。
自分から逃げること無く、ちゃんと向き合って、そしてもう一度生き始めていて欲しい。
わたしと同じように、生きながら、二度目の人生を、どこかでひっそりと歩んでいて欲しい。
今日も春の風が、彼の頬を暖かく包みますように。
苦しみの中に、きっと一条の光がさしていますように。
人間は何度でも生きられる。もう一度、新しい人生を。過去を背負ったままで。
生き直す、のではない。どんな酷いことも、苦しみも、あなたの大事な一部なのだ。それを持っているから、きっと誰よりも人に優しくできる。
あなたのために、祈ります。