生きててよかった

息子が7歳の春を迎えた。

息子を抱っこして、向き合いながらくだらない話をふたりでして大笑いした。あはは!あははは!!って。時々ぎゅうっと抱きしめた。

あんまり楽しかったらしく、息子は大笑いしながら、

「あはははは!!!生まれてきて良かった~~~!幸せ~~~~~~!!!!」

と叫んだ。

びっくりして、わたしはまじまじを息子の顔を見た。しあわせ~~~!と笑って尚もいう息子の顔を見ながら、わたしも笑った。笑いながら、うえ~~~~~ん!!!って子供みたいに泣いた。

嬉しくて嬉しくて。

嬉しくて嬉しくて嬉しくて。

涙が溢れて止まらなかった。

「ママ、どうしたの?大丈夫?」

と心配する息子に、大丈夫、あははと笑いながらまた泣いた。

聞くと、息子は生まれてきてからずっと幸せだと。毎日楽しいと言った。学校があんまり好きではなく、つまらないことも面倒なこともあるけれど、それでも毎日幸せで楽しく生きられているらしい。

わたしこそ生きていて良かった。

生きていたら、こんな風に思う日が来るんだ。

思うような愛情を親から受けられずに育ったわたしが、繰り返し繰り返し、家庭の中でいかに自分が価値がなく、そして最低な人間なのかを教えられてきた自分が、こんな言葉を子供から聞ける日が来るなんて、思いも寄らなかった。

わたしにとって、生きるということは、苦しみの連続だった。どこまで歩くと楽になるのだろう。いや、そういう日は来ないのかもしれない。

大人になるにつれて、そう諦めることが成長だと感じるようになっていた。いや、若い時のどん底では、どん底にはそういう感情や何かを考えることもない。ただ、ただ深い暗闇に居た。

床も、天井も、上下左右もない、重力も何もないどす黒い暗闇の中にぽっかりと浮かんでいた、あの頃。

不思議なもので、あの頃の日々は、この暗い心象風景の方が自分のリアルであり、毎日目にする日常の景色はあまり意味をなして居なかったような気がする。

考えてみれば、あの頃は何故こんなにも人生が辛いのか全く分からなかった。

人は、適切に育ってこそ適切な判断能力がつき、自分にとっての幸せや喜びは、そういう積み重ねの中からこそ生み出せるのだ。そうでなければ「幸せに生きる」の意味などわかりようがない。

必死だった。

幸せの積み重ねのない自分に、母と子の暖かな触れ合いの経験のないわたしに、子供など育てられるのか。罵倒された記憶、頬を張られた記憶、人格を否定された記憶ばかりのわたしに。

実際、子育てはフラッシュバックの経験なのだ。

「子供を産んで、母の有り難みがわかった」

昔から良く聞く言葉だ。

自分に起きてみて、良く理解した。良くも悪くも、子供を育て始めるとそれにまつわる過去の記憶が呼び起こされ、それまで封をしていた自分に起こったことを感じ取れるようになるのだ。

母親に愛情を込めて、大事にされて育った女性は、子供を育てながら「ああ、母はこんなふうにしてわたしを苦労しながら愛し育ててくれたのだ」と感じる。

逆もしかり。自分が子供を愛して、大事に大事に、必死で育てていると「こうもされなかった」「あんな風にされた」「何故大事な子供にこんな仕打ちが出来るのか」。そうして繰り返し繰り返し、自分のされたことを追体験することになる。

どうしたら良いのかわからず時折過ちをおかし、自分を責め、七転八倒しながら、どうしたら子供に苦しみを継がせるのではなく、愛を手渡し、幸福にしてあげられるのか。

正に苦しみもがきながら、必死で子育てをしてきた。この7年、本当に自分を捧げて子育てをした。自分には、そんな風にしか、子供ひとりを育てられなかった。

だから、ずっと自信なんかなかった。いつもいつも、子を知らぬ間に苦しめていないか、いつか成長した時に気付く足枷をはめていないか、ずっと心配でずっと自分を振り返り続けた。

だから、だから特別に嬉しかった。

嬉しいなんて言葉では言い表せない喜び。

生きていて良かった。

もちろん、これが全てではないだろう。子育てはこれからも続くのだし、ずっと大事にしたい。子供も、自分を振り返ることも。

けれど、ひとまずは幸せだと感じてもらえること。それが一番の目標だったから。

ありがとう。ありがとう。全ての事に感謝したい。

苦しみも、喜びも、全てがあって今日がある。

死なずに生きてて良かった。本当にありがとう。

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