意味のあることをしよう、と何処かでいつも思っている。
「意味のあること」?
自分にとって?他人にとって?この世界にとって…。
何だろう。意味のあることって。
「生きている意味がない」という言葉を聞くことがある。
「生きている意味」が私たちは、わたしは欲しいのだな。
ある人が「生きる意味があるのでは無く、”生きていること”に意味があるのです」という。
本当にそうだな、と思う反面、心の中に虚無を抱えたまま生きることは、やはり虚しさや苦しさがあって、逃れるのは難しい。人は自分のためだけには頑張れない、というのは、家族や愛するものがあって、その誰かのためになら”意味”を感じられるから、という事だろうと思う。
人は、その虚しさを抱える苦しさを感じることで、そうでは無い生き方の重要性を実感したいのだろう。だって、生き生きと目を輝かせた人を見たら、やっぱり眩しく、美しいと感じるものね。
私も、この数ヶ月虚無の中にいた。
いや、今も同様だけれど、虚無が胸を襲うけれど、この虚無の中から這い出そうともがいている。
自分のやるべきこと、心地よく清々しいことがはっきりと目に映り、他のなにものをも気にせずにその一点へと向かってただ走ることが出来れば、こんな風に、もがき足掻くことも無いのだろうけれど、残念ながら自分はそうではなかった。
けれども、それでも歩こう。
わたしの目が、誰かの憧れる清々しく輝いた眼差しでなかったとしても。
自分の理想とかけ離れていたとしても。
好きな歌の歌詞にあった。
「ぼくが歩いてきた道が自分」なのだと。
誰の目も関係ない。そして、「こうありたい」と願う自分の目も、関係ない。
評価ではなくて、ただ生きることに集中して、今日の自分を精一杯表現していたい。
ダメでも良い。格好悪くても良い。他の誰でもなく、今日一日を生き延びた自分を褒めてあげよう。自分だけは、自分の味方で居てあげよう。
死にたい気持ちがあったら、「死にたい気持ち」を抱えながら今日も一日生きた自分を褒めてあげよう。だって、偉いじゃない?楽しくて嬉しくてワクワクしてハッピーで生きている人より、何倍も今を生きるのが辛いのにさ。死なずに今日も生きたのだもの。
褒めようよ。褒めて行こうよ。下らなくて良いから。バカバカしくて良いから。
立派でなくて良いからさ。
暗闇の中に、諦めなければ必ず光は差す。必ず。
あなたが幸せを感じることを、たったひとりの味方である、自分が赦してあげられさえすれば。